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【あるヨギーニの自叙伝】第四章:母が教えてくれた光ー「本物のヨーガ」との出会い

2025.05.26

命の終わりに、母が教えてくれたことがありました。

それは、心の持ちようひとつで、人はこんなにも変われるのだということ。

母はいわゆる「毒親」で、子供の私は彼女の言葉の暴力に返せなかった。

そんな母が教えてくれたこと、それは

真に人を癒す道は、知識や言葉ではなく、「生き方」にあるのだということを。


実は、フランス滞在中、母が末期がんと宣告されました。

「余命はわずか」と言われたことを、私に隠し、そっと手術を済ませていたことを知ったショックを、私は今でも忘れられません。

なんて親不孝な娘だと思いました。

私は、ただただ、祈りました。

母が生きていてくれますように──と。

術後、母はゾウのように腫れてしまった脚が少しでも楽になるようにと、公民館で行われているヨーガを始めました。

最初は、少し運動した方がいいかな、という思いで。

けれど、私の目にはすぐにわかりました。

それは、ただの体操ではなかったのです。

母の目が、呼吸が、心が変わっていったのがわかりました。

彼女の話す言葉が、表情が、纏う空気までもが、

まるで春の光のように、やわらかく、あたたかくなっていきました。

心が変わると、身体が変わる。

身体が変わると、人生が変わる。

これは、本当だった、事実だ。

母の生還ドラマが教えてくれました。

それを目の当たりにしたとき、私は震えました。

「これだ」

これが、私の探していた“人間の再生”の道だ。

私はその確信を胸に、再びアメリカ・ロサンゼルスへ向かいました。

本物のヨーガを探して。

20代の頃に巡ったエアロビクススタジオは、ヨガスタジオに変わっていました。

私は、バスを乗り継いで、ヨガマットを背にたくさんのスタジオを巡り、多くの先生方に出会いました。

英語が達者でない私は、「私は日本から来ました。本当のヨーガを探しています」と書いた紙を見せて、インストラクターに挨拶していました。

レッスン前に、皆んなの前で「日本から来たんですって」という感じで紹介してくださり、歓迎していただいたことを覚えています。

これは、どのスタジオへ行っても同じでした。

20代は、ロサンゼルスのエアロビクスインストラクターたちに憧れ、通ったアメリカ。

30代は、ヨガインストラクターのセンスを吸収するため再びこの地からスタートする奇遇が面白いなと思いました。

たくさんのインストラクターに出会ってきた中のひとり、サンタモニカにお住まいの82歳の大御所インストラクターが、私にこう言ってくれました。

「本当はヨーガに資格なんていらないのよ。ヨーガには、あなたのような存在が必要なのよ。」

私の肩を抱いてくれた、そう言ってくれた時の彼女の両手の強さ、目の輝き、そして、この言葉は、今も私の背骨に在ります。

お顔のシワが生きた証しとなって、30代前半の私にはとうてい出せない魅力を放つ大御所ヨガインストラクターをみて、思いました。

この人みたいに、なりたいと。