
コラム
ヨーガの指導現場から考える生きづらい心
2025.03.18
いつの頃からか、あたりまえに耳に入ってくるようになった「発達障害」という言葉。
10年前のヨーガ指導の現場にはなかった言葉です。
しかし今思うと、接してきた数々の悩みは、これに該当していたのではないかと思うケースが脳裏に浮かびます。
健康指導の現場に37年たずさわり、社会の変動とともに健康の関心が変わった流れを見てきました。
人々の志向は外見から内面へ、肉体重視から心へ、物質から精神へ、魂へと、人間に潜在された力へと向かっていくように変動しています。
同時に悩みは身体より心がしめる割合が多くなり、悩まない人などいないだろうと言えるくらい誰もが自分の心に悩まされています。
私は、この変化と心に悩まされる現代の状況を、人類進化の過程から考えています。
自らの心に悩まされるようになる、ということは、脳と心を発達させていく人類共通の課題に付随する問題であり、進化の通過点と言えるかもしれないと。
だから現代には過去になかったくらい、ヨーガが広がったのだろうと。
人間の進化は、自助努力によって開発された高次の脳と心に、高次元の意識「魂」がつながり、これらが統合されて機能する人間になると、「物質的」から「霊的」な存在レベルに進化します。
この進化を、自らの意志を動機にした行動で進めていく方法が、ラージャ・ヨーガといわれる科学的ヨーガです。
動物とほとんど変わらない原始的な人類の時代から、ハタ・ヨーガ、バクティ・ヨーガと、その時代の進化に必要なヨーガを通して人類は、原始人からデジタル社会を生きる現代人まで洗練させてきました。
その流れの最終地点であるラージャ・ヨーガが導く人類の進化は、霊的な人類。
心の科学といわれるこの科学的ヨーガは、心と脳を、高次元の意識に対応して機能するように私たちを進化させます。
日常生活仕様の身体が、感情が、思考が、高次元の意識を表現する媒体になるのです。
この場合の身体とは、脳・神経・内臓のことです。これらが、高次の波動に対応する性能に進化して活動するようになります。
問題はここです。ここに困難があるのです。
低いものと高いものを融合させるときは、それらの間にある違いが適合するまで摩擦が生じます。
低次と高次の働きが融合して新しい力になるまでは、摩擦と不調和、ズレをなん度も味わいながら転生を繰り返し、やっと一つの単位として機能するようになり人間そのものが変異します。
水中の魚が陸に上がり、大地を移動できる生体に変異するまでの間に経験する苦悩。
このドラマを少しでもイメージできれば、私たち人間の脳と心の進化の道のりも、どれほどのことか想像できるのではないでしょうか。
ラージャ・ヨーガには、心の仕組み、心の障害、心の克服法が、まるで現代が抱える心の問題を見据えていたかのように記されています。
ですから、生きづらいと感じる人、心の悩みがつきない人、心の問題を抱えている人は、私もそうでしたが、とことんこの科学的ヨーガを研究し、脳にインストールし心で理解しなければなりません。
発達障害、HSP、といった名前がつく症状だけではなく、思ったことを実行できない、怠惰、無気力、イライラ、キレる、情緒不安定、暴走思考、集中力の欠如、落ち着きのなさ、不健康、病気、心を客観視することを維持できないことも心の障害とみなされています。
ほとんどの人がこれらの障害のどれかに当てはまるのではないでしょうか?!
だからこそ、この科学的ヨーガを現代人特有の心の問題に応用し、解決策の設計図として活用できるのです。
現代社会は、足を引きずって歩くかのように理由がわからないまま生きづらさを抱えて生きている人が大勢います。
でも、その生きづらさの感覚こそが、今度こそ、今生でこそ、変わるときなのだと気づいてほしい。
そして、生きづらいなら生きづらいなりの道を自分で開拓して歩んでいけるように生き方を身につけることです。
ツラいのは生きづらいことでなはく、生きづらさに力をうばわれ、夢を実現できなくなってしまった状態です。
人間は、どんな境遇におかれても、そこから脱却できる可能性を潜在しています。
その可能性が目覚める機会は、ぬくぬくとした環境のなかではありません。その逆の境遇のなかです。
生きづらいなら生きづらい原因を何がなんでもつきとめる。原因がわかれば、その生きづらさを「生きやすさ」に変えていく努力に出ていくのが本来の心の働きだからです。
本当に生きづらければ、死ぬ気でそれを克服しようと立ち上がれるのもまた人間なのです。
そして、その生きづらさを逆のものに変換できたとき、生きづらいと嘆くだけのときは思い描かなかった人生が始まります。
私もそうして今この人生があります。