
コラム
「非認知能力」が教育に入る前に大人が知っておきたいこと
2025.07.14
ここ最近、「非認知能力」という言葉が、
教育界やメディアで大きな注目を集めています。
感情のコントロール力・粘り強さ・協調性・自己認識といった
数値化できる能力ではない「人間力」が、
これからの時代に必要不可欠だとされ、
大学入試にまで導入され始めています。
この流れは、表面上はとても素晴らしいものに見えます。
けれど、私は今、“危機の足音”を静かに感じています。
なぜなら――
非認知能力は、“教え込むもの”ではないからです。
非認知能力は、単なる行動特性ではなく、
魂の成長の反映そのものであり、
“発達”ではなく“開花”に近いものです。
そして、「学力テストの延長線上で測れる能力」でも、
「教え込んで習得させるスキル」でもありません。
本日のコラムは、
今後数年で社会問題として表面化してくるであろう
「非認知能力教育の過熱による子どもへの過剰な期待と、
その影に潜む精神的疲弊について綴ってまいります。
非認知能力とは、魂の力のあらわれ
非認知能力とは、もともと「魂の成熟」によって自然と人格上に滲み出てくるものです。
その現れ方を、古代人は「内なる光」と表現したのです。
この光は、
人が物質世界で味わう苦悩の果てに
「何者として生きるか」といった疑問に出会い、
答えを探し、自らの内側と向き合いながら、
痛みや葛藤、ゆらぎを越えて
はじめて人格に現れるものです。
だからこそ、ヨーガの世界では、
非認知能力に相当するような感性は、
「魂の人格」として育まれてきました。
ポーズや呼吸法、リラックス、それ以上に、
「静けさの中で己を見つめる」ことを通して。
これは、苦悩の只中にあってもなされなければならないことです。
これは、大人でも根負けする心理作業です。
そして、自分の内側の構造を学んで理解すること。
そうして、やっと培われる能力なのです。
子どもたちが抱える“魂の摩擦”を見逃してはいけない
しかし、今、教育の現場で起きているのは違います。
大人がまだ体得していない非認知能力を、
子どもに「できて当然」のように課し、
評価し、進学の条件にしようとしています。
これは、
魂の力と調和できるまで人格が形成されていない子どもたちに、
大人の理想像を“強制”することに他なりません。
非認知能力が発達する過程には、
・情緒不安定
・身体的な摩擦(眠気やだるさ、不調など)
・自己との葛藤(できない自分を責めるなど)
といった魂の変容に伴う“副作用”が起きます。
これは、大人にも当然に起きることです。
現代の教育では、この過程が見過ごされています。
大人の場合、都合の良い言い訳で中断できます。
途中で嫌になったら、やめてしまえばいいのですから。
しかし、子どもの教育過程なら、そうはいきません。
変容にともなう抵抗や不調としてではなく、
「問題行動」として扱われる可能性もあるでしょう。
また、親の不安の種も増える可能性があります。
・うちの子は、○才になっても喋らない。
・どこそこの子は、〇〇ができるのに、うちの子はできない。
・受験のために非認知能力を育てなきゃ。
といった比較と心配の種。
子どもの精神が比較の種になってしまうことは
予想しがたい未来ではありません。
このままでは――
非認知能力が注目されればされるほど、子どもたちの心は潰されてしまうのです。
子どもに求める前に、大人が静けさを取り戻すべき理由
非認知能力は、言葉で教えても身につくものではありません。
目の前の大人の「在り方」から、子どもは“感じ取って”育ちます。
子どもに、自制心、感情のコントロール力を求めるなら、
まずは大人が「自分の心のざわめき」に気づき、
それをコントロールでき、
魂の声に耳を澄ませる心の品格を取り戻さなければなりません。
そのために必要なのが、“静けさの技法”です。
これは、
外に向いていた意識を内側へと戻し、
心と身体、魂を再統合させるヨーガの科学から生まれた、
人生の軌道修正のための技法です。
ヨーガが秘める、“本当の教育力”
かつて20代の私は、「ヨーガ=健康や美容のためのストレッチ」だと思って実践していました。
しかし、ポーズを超えて、ヨーガが本当に伝えたかったのは、心の品格と魂の再統合でした。
それは、まさに非認知能力の核でもあります。
・我慢ではない“内なる自制”
・強がりではない“本物の自己肯定”
・他者と同化せず、でも調和できる“共感力”
これらはすべて、
魂とつながった静けさの中でこそ芽生えるものです。
最後に ―― これから「教育」「子育て」を担うすべての人へ
私は、今の非認知能力ブームにこそ、
「大人の魂が目覚める時代」が到来している兆しを感じています。
けれど、それを「点数化できるもの」「育成メソッド」として扱ってしまえば、
魂が求めている“静けさ”と真逆の方向に進んでしまう危険があります。
どうか忘れないでください。
非認知能力は、“強いるもの”ではなく、“あなたがまずは開くもの”です。
その目覚めた大人たちの中でこそ、
子どもは安心し、自分の本当の声を聴き、
自分の光(魂)に導かれていくでしょう。
そしてそれこそが、
本当に「教育」と呼べる人間の営みなのではないでしょうか。