
コラム
【あるヨギーニの自叙伝】第七章:静けさという名の荒野で〜魂の道を生きると決めた日
2025.06.01
ヨガ業界をやめた後の私は、
禅寺の一室をお借りして教室を始めました。
誰も来ない日々。
側からしたら、私の人生も仕事も「転落」と見えていたことでしょう。
ヨガスタジオのディレクターの方が、心配してお寺に来てくださったのです。
「なぜ、厳しい苦しい道を選ぶのか」と。
そう。
あのまま、華やかなヨガインストラクターでいたら、よかったのでしょうか。
もし、そうだったら、私は今、どんな人生を歩んでいたでしょう。
布団の中で、不安を抱き締めながら眠れないまま朝を迎えた日々。
それでも、私はやめられなかった。
ヨガインンストラクターの自分に、戻れなかったのです。
身体が粉々になるほど、葛藤しました。
人気を味わった人が、その逆を味わう。
成功を経験した人が、その真逆を味わう。
承認され、認められ、憧れられてきた人が、
それとは反対の境地に立たされる。
大勢の参加者に囲まれながらレッスンをする。
そんな人気ヨガインストラクターに戻れたのに、戻らない。
なぜなら、魂が静かに、でも確かに
「YES」と言い続けていたからです。
葛藤と苦しみの中で、私は気づいていきました。
資格やキャリア、有名な師匠に師事することでは
私自身のヨーガは証明されない。
ヨーガとは、
外にあるもので証明するものではなく、
自らがヨーガの「道」となることなのだと。
エアロビクスインストラクターからヨガインストラクターへ、
ヨーガ講師、ヨーガ指導者へと、人生の転換期を通過してきました。
そして最終的に、この世に私が生まれてきた想いに気づきました。
「私は、人生をまるごと導けるヨーガのグルになりたい」と。
それから、不思議なことが起きました。
インド大使館から1年間のヨガビザが許可されたのです。
インド人に「前例にない」と言われました。
そのビザを手に、私は40歳から5年をかけて、インドでヨーガの深い学びに身を投じました。
そしてある日――
ガンジス川のほとりで、一人の聖者が、私の目をまっすぐに見て言ったのです。
「日本に帰れ。お前が教えなくて、誰が教えるのだ」
その言葉は、
迷いを捨て去り、魂の道を生きる覚悟を私に与えてくれました。
どんなに理解されなくても、
どんなに孤独でも、
この道を生きていく。
その誓いが、
今の私をつくっています。