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【あるヨギーニの自叙伝】第一章:魂の風景 〜大祖母と「静けさ」の記憶

2025.05.20

私は57歳になりました。この年齢に、特別な意味を感じずにはいられません。

というのも、私の父が命を絶ったのは、今の私と同じ57歳のときだったからです。

先日、父の仏壇の前に立ち、位牌の裏を見て、そのことに気づきました。私はずっと、53歳だと思っていたのです。

父は秋田県の貧しい寒村から、年老いた両親と母を連れて千葉に出てきました。

そして、自ら建設会社を立ち上げ、ビルを建て、成功を収めました。

家業は順調に見えましたが、あるとき現場から落下する事故に遭い、それを機に体調を崩し、入退院を繰り返した末、最後は自ら命を絶ちました。

当時の私は、26歳でした。

私の家庭環境は決して穏やかとは言えず、両親の激しい言い争いが絶えない中で育ちました。

幼い私は、毎晩布団にくるまり、耳を塞ぎ、心の嵐が過ぎ去るのを待つ日々。

そんな私を静かに見守り、支えてくれたのが、明治生まれの曾祖母――大祖母でした。

彼女は、かつて女中を従えて嫁いだお嬢様でした。しかし、夫が一つ咳をしただけで「結核ではないか」と大祖母の両親に疑われ、離婚させられました。

当時の離婚と言えば、想像を絶するほどの傷もの扱いをされたことと思います。

そんな大祖母に情けをかけて後妻に迎えたのが、私の父の大祖父にあたる方でした。

大祖母は、物腰は静かで、しかし精神は揺るぎなく、まるで深い湖のような存在でした。

大祖母が愛読していた「魂」にまつわる本を、私はその隣で、まるで意味もわからぬまま一緒に読んでいたものです。

その時間だけが、私にとって“静けさ”と“安心”を感じられる唯一の時間だったのです。

大祖母は、私にとっての初めての「師」だったのかもしれません。血縁を超えた、魂の師です。

言葉少なにしてすべてを伝える人でした。彼女の背中から、私は“人生に抗わず、受け止めていく在り方”を、幼いながらに感じ取っていたのだと思います。

思えば、あのとき、ヨーガの種はすでに私の中に蒔かれていたのでしょう。

それは、アーサナでも、プラーナーヤーマでもなく、「魂が呼吸する」という意味での、ヨーガのはじまり。

人生と人生を繋ぐ、見えない何かとの“合一”の記憶――。

そして私は今、そのときの大祖母と同じように「静けさ」を携えて、大祖母と魂の智慧を紡いだこの家で、人々の魂に触れようとしています。

自分の過去を、“癒された物語”としてではなく、“生きた真実”として手渡すことで、どこかで誰かが、自分の魂の静けさを思い出せるように。

この世に生まれてきた意味は、誰の人生にも込められている。

それを忘れぬように、今日もまた、私は歩き出します。