
コラム
問題の根源はどこにある
2025.03.13
インドから帰国してヨーガ教室をかまえ、早15年の月日が過ぎました。
その間、人々の声に接してきましたが、それがどんな声であるにせよ苦しみの根源は同じであるということは今もなお変わりません。
その根源から、家庭の問題、個人的な人生の問題、人間関係の問題、性格の問題、身体の問題と、あらゆる形に発展しています。
本日のコラムは、苦しみの根源について考えられるようになることを目的にしています。
その心理的な態度のエネルギーが、苦しみの根源に響くように何度も読んで体感に至ってください。
そうすれば、その根源とあなたとの密接なつながりの間に、引き離されていくスペースができます。
そのため専門用語はできるだけ使わず、専門的な知識も理解しやすいようにかみ砕いていきます。
苦しみの発端はどこに?
「心の働き」を見える化する「身体の動き」に、「気づく者」「見る者」「観察者」が本来の立場からはずれ、一体化してしまっている状態にあります。
心は、目で見たもの耳に入ってきたこと、肌で感じたものから記憶をよみがえらせ、それをベースに思考を生産します。
思考の基本は、自分にとって肯定的か否定的かといった狭い範囲です。
心は想像する働きもします。過去を誇張し、未来を不安にします。
このように、心は五感の対象を情報処理する器官なのです。
これは、観察され制御されて働かせなければならないものです。
しかし、それがない宙ぶらりんの状態で働いてしまっている心には、歯止めが効かなくなるというデメリットがあるため自分の心が苦しみの根源になるという特性があります。
もう少しイメージできるように、車の走りに必携のブレーキから理解していきましょう。
もし、私がディーラーで車を購入していただくとしたら、見栄えもだいじですが、ブレーキの性能をしっかり確認していただきます。
スピードを落としたり必要なときに停止させられるかどうか、それをくり返し行ってもブレーキの力は損なわれないか、走る環境が変わってもブレーキの性能が落ちないかといったことです。
これらを確認して車を購入していただいたら、次は顧客の運転能力を確かめます。
運転する人しだいで車の「走り方」は変わるからです。
目的地を念頭に入れながら、周りを見て、必要なときにはスピードを出し、必要なときはイライラしないで速度を落とせるか、焦らずじっと停止していられるかどうか。
心と身体を上手に運転する「生き方」を身につけようとする謙虚さが根絶の光
実はこの車の運転は、「生き方」を喩えています。
心は自動的に思考を生産していることに、自分の身体を通して気づけば気づくほど、下のふたつの文章を並べている意味がわかるようになります。
ブレーキを踏んでも速度が落ちないブレーキが効かない車で走り続けること。止めようと思ってもネガティブな考えが止まらないコントロールが効かない心で生き続けること。
本来の心はブレーキが効くように創造されています。
ですから苦しみの根源は、そのブレーキを持たずに生き続けていることなのです。
本来ブレーキの役目をはたすはずの意識が心と身体に一体化してしまうと、心の働きのとおりに身体は動きます。
この働きに左右されている状態が、すべての問題の発端になっています。
もし、今のあなたがヨーガ本来の目的が何であるかをまだ明確にわからなかったとしても、本質的なヨーガを求めている自分がいたとしたら、この誤った一体化を正しく設定しなおすことを教えてもらえる機会に巡り合えるように行動してください。
心と身体と、それらを観察するはずの意識が一体化した状態で一人でヨーガを行っていくことは困難です。
どれほど困難であるかは、次のコラムに譲りましょう。